商用SIEMからの脱却:OSS活用によるセキュリティ運用効率化とコスト削減事例
商用SIEMの高コストと運用課題からの脱却
近年、サイバー攻撃の高度化・多様化に伴い、組織のセキュリティ対策は喫緊の課題となっています。多くの企業がログ収集・分析、脅威検知、インシデント対応を効率化するために、SIEM(Security Information and Event Management)製品の導入を検討、あるいは既に導入しています。しかしながら、高機能な商用SIEM製品は往々にして高額なライセンス費用がかかり、さらに運用・保守には専門知識が必要なため、運用コストも膨大になる傾向があります。特に、扱うデータ量が増加するにつれてコストが青天井になり、予算の制約から十分な対策が取れない、あるいは導入後の運用が立ち行かなくなるといった課題に直面する組織も少なくありません。
本記事では、このような商用SIEMが抱える課題に対し、複数のOSSを組み合わせることで柔軟かつコスト効率の高いセキュリティ運用基盤を内製化し、顕著なコスト削減と運用効率向上を実現した企業の事例をご紹介します。
導入前の状況:高まるセキュリティリスクとコストの重圧
事例となるA社は、複数の事業を展開しており、増加するサイバー攻撃の脅威に対し、専門ベンダーが提供する高機能な商用SIEM製品を導入していました。このSIEMは、様々なシステムのログを一元的に収集・分析し、既知の攻撃パターンに基づく検知ルールを適用することで、一定のセキュリティレベルを維持することに貢献していました。
しかし、ビジネスの拡大に伴い、システム構成が複雑化し、生成されるログデータ量が急増しました。それに伴い、商用SIEMのライセンス費用が指数関数的に増加し、IT予算を圧迫する状況となりました。また、製品がブラックボックス化している部分が多く、検知ルールのカスタマイズやシステム連携が容易ではなく、運用体制の硬直化や新しい脅威への迅速な対応が難しいという課題も抱えていました。インシデント発生時にも、分析に必要なデータの抽出や異なるツール間での情報連携に時間がかかり、対応が遅れることもありました。
これらの課題を解決するため、技術部門は、よりコスト効率が高く、運用に対する柔軟性と透明性を確保できる新しいセキュリティ運用基盤の構築を検討し始めました。
導入の意思決定とOSS選定の理由
A社の技術部門責任者を含む意思決定チームは、新しい基盤に求められる要件として、以下の点を重視しました。
- コスト効率: 急増するデータ量に対応できるスケーラビリティを持ちつつ、総コストを大幅に削減すること。
- 柔軟性と拡張性: 組織のニーズに合わせてカスタマイズが可能で、将来的に新しいシステムやサービスとの連携、機能拡張が容易であること。
- 透明性とコントロール: 基盤の内部動作や検知ロジックを理解し、自社でコントロールできること。
- 標準技術の活用: 広く普及しており、情報やコミュニティが豊富で、将来的なメンテナンスや人材確保が比較的容易であること。
これらの要件を満たす選択肢として、様々なOSSを組み合わせた内製化が有力候補となりました。商用製品の代替となり得るOSSの調査と評価を重ねた結果、以下のOSS群を採用する意思決定がなされました。
- ログ収集・転送・正規化: Fluent Bit および Vector
- ログ保管・検索・分析: OpenSearch (Elasticsearch互換)
- 脅威検知ルール: Sigma (汎用的なログ検知ルールの記述言語) とその関連ツール
- インシデント管理・トリアージ: TheHive および Cortex
これらのOSSを選定した主な理由は以下の通りです。
- コスト: ライセンス費用がかからず、インフラコスト(サーバー、ストレージ)のみで運用可能なため、大幅なコスト削減が見込める。
- 柔軟性: 各OSSが特定の機能に特化しており、必要に応じてコンポーネントを入れ替えたり、新たなOSSと組み合わせたりすることが容易。APIや標準的なデータ形式(JSONなど)を介した連携が前提となっている。
- 透明性: ソースコードが公開されており、内部の仕組みを理解しやすい。検知ルールもカスタマイズや新規作成が容易。
- コミュニティとエコシステム: 各OSSとも活発なコミュニティがあり、ドキュメントや知見が豊富。Sigmaのように、特定のOSSに依存しない形で検知ルールを共有・活用できるエコシステムも成熟している。
- スケーラビリティ: ログデータ量の増加に対して、水平スケールしやすいアーキテクチャを持つOSSが中心である。
導入における懸念点としては、商用製品のような手厚いベンダーサポートがないこと、システム連携やルール作成などを自社で行う必要があるため、導入・運用にある程度の専門スキルが必要になる点が挙げられました。これに対しA社は、既存の技術メンバーに対し集中的な研修を実施し、必要に応じて外部のOSS専門家チームに技術的なアドバイスを求める体制を構築することで対応しました。
具体的なOSS導入と活用:セキュリティ監視基盤の内製化
A社は、以下の流れでOSSベースのセキュリティ監視基盤を構築しました。
- ログ収集エージェントの展開: 各システムやサーバーにFluent BitまたはVectorエージェントを導入。これらのエージェントは軽量でリソース消費が少なく、様々な形式のログを収集し、構造化された形式(主にJSON)に正規化する処理を施します。正規化により、後段の分析処理を効率化しました。
- ログストレージと検索基盤の構築: OpenSearchクラスタを構築し、収集・正規化されたログデータを格納するように設定しました。OpenSearchは分散型検索エンジンであり、大量のログデータを高速に検索・分析する能力を持ちます。Kibana(OpenSearch Dashboards)を用いてデータの可視化や explorative な分析を可能にしました。
- 脅威検知ルールの適用: Sigma形式で記述された様々なセキュリティ検知ルール(公開されているものや自社で作成したもの)を、ログデータに対して適用する仕組みを構築しました。Sigmaルールは、特定の攻撃パターンや異常なアクティビティを示すログエントリを検出するために設計されています。これをOpenSearchのクエリに変換して実行することで、ログデータの中から脅威の痕跡を効率的に発見できるようにしました。
- インシデント管理システムの導入: 検出された脅威アラートを自動的にTheHiveに集約するように連携を設定しました。TheHiveはセキュリティインシデントの管理、トリアージ、調査、証拠管理、対応ワークフローを支援するプラットフォームです。Cortexと連携することで、アラートに含まれるIPアドレスやドメイン名などの観測情報(Observable)に対して自動的な情報収集や分析(例: マルウェアスキャン結果、Whois情報、評判情報など)を実行し、調査の効率を向上させました。
このアーキテクチャにより、ログの収集から脅威の検知、インシデント管理までの一連のセキュリティ運用ワークフローが、オープンなOSS群の上で実現されました。技術的詳細に深入りしすぎない範囲で重要な点として、各コンポーネントが疎結合であり、データ形式やAPIを介して柔軟に連携できる設計になっていることが挙げられます。これにより、特定のOSSの機能が不足している場合でも、他のツールで補完したり、自社でスクリプトやコネクタを作成したりすることが容易になりました。
導入によって得られた成果:コスト削減とセキュリティ運用の進化
OSSベースのセキュリティ監視基盤を内製化した結果、A社は以下の顕著な成果を達成しました。
- 大幅なライセンスコスト削減: 最も直接的な成果は、商用SIEM製品にかかっていた高額なライセンス費用がゼロになったことです。インフラストラクチャの運用コストは発生しますが、データ量が増加してもライセンス費用のように非線形に増加することはなく、スケーリング計画が立てやすくなりました。これにより、年間数千万円規模のコスト削減が実現しました。
- 運用効率の向上:
- ログ正規化と検索速度: Fluent Bit/Vectorによるログの自動正規化とOpenSearchの導入により、膨大なログデータからの必要な情報の検索・抽出速度が大幅に向上しました。
- 検知ルールの柔軟性: Sigma形式の導入により、新しい脅威に対応するための検知ルールの作成・更新が容易になり、商用製品時代に比べてルールチューニングにかかる工数が約30%削減されました。
- インシデント対応の迅速化: TheHiveによるインシデントの一元管理と、Cortexによる自動的な観測情報分析により、インシデントの初動対応(トリアージ、情報収集)にかかる時間が短縮され、平均インシデント対応時間が約20%削減されました。
- 自動化の進展: OSS間のAPI連携を活用し、特定のアラート発生時に自動的にインシデントを作成し、情報収集プロセスを開始するなど、部分的なSOAR(Security Orchestration, Automation and Response)機能を実装しました。
- セキュリティレベルの向上: 基盤の透明性が高まったことで、検知ルールのロジックやデータの流れを自社のセキュリティ担当者が深く理解できるようになり、より自社の環境に最適化された検知・分析が可能になりました。また、コスト制約から断念していたログソースの追加も容易になり、監視対象範囲を拡大できました。
- 組織文化への影響: 内製化を進める過程で、技術部門内にセキュリティ運用に関する実践的な知識とスキルが蓄積されました。これにより、セキュリティインシデント発生時にも、外部ベンダーに依存することなく、自社の技術者による迅速な対応が可能となり、組織全体の技術力とセキュリティ意識の向上につながりました。
直面した課題と克服:内製化の壁を乗り越える
OSSによる内製化は多くのメリットをもたらしましたが、いくつかの課題にも直面しました。
- 専門スキルの習得: 各OSSの導入、設定、運用には一定の専門知識が求められました。これに対し、A社は計画的な社内研修プログラムを策定し、技術メンバーのスキルアップを図りました。また、初期段階や複雑な問題については、外部のOSS専門家の技術支援を一時的に活用しました。
- システムの安定稼働維持: 複数のOSSを組み合わせたシステムは、商用製品に比べて構成要素が多くなりがちです。それぞれのOSSの特性を理解し、安定した稼働を維持するためには、継続的な監視とチューニングが必要でした。A社は、既存のOSS監視ツール(Prometheus, Grafanaなど)を活用し、構築したセキュリティ基盤自身の健全性監視を徹底することで対応しました。
- ログ正規化とルール作成の負荷: 多様なシステムから収集されるログの形式を統一し、効果的な検知ルールを作成・維持することは、継続的な作業負荷となりました。A社は、共通のログ形式定義を策定し、正規化処理を自動化するスクリプト開発を進めるとともに、コミュニティで公開されているSigmaルールを積極的に活用し、自社環境に合わせてカスタマイズすることで効率化を図りました。
これらの課題に対し、A社は継続的な改善活動と組織的な取り組み(スキル開発、運用体制の整備、外部専門家の活用判断など)によって着実に克服していきました。
まとめと今後の展望:OSSで実現する自律的なセキュリティ運用
本事例は、商用SIEMの高コスト構造や運用課題に対し、OSSを戦略的に活用することで、コスト削減とセキュリティ運用効率化を同時に実現可能であることを示しています。OSSによる内製化は、単にコストを下げるだけでなく、システムの透明性、運用上の柔軟性、そして組織の技術力向上といった副次的な効果をもたらしました。
他の組織への示唆としては、以下の点が挙げられます。
- 目的と要件の明確化: 全ての機能をOSSで代替することが目的ではなく、自社のセキュリティ要件と運用体制に最適なOSSの組み合わせを選択することが重要です。
- スキル開発への投資: OSS内製化には、運用を担うメンバーのスキルアップが不可欠です。計画的な研修や、外部専門家の活用も含めた投資計画を立てる必要があります。
- スモールスタートと段階的拡張: 最初から全ての機能をOSSで代替するのではなく、特定の領域(例: ログ収集・分析のみ)からスモールスタートし、段階的に機能や対象範囲を拡張していくアプローチがリスクを低減します。
- コミュニティの活用: OSSコミュニティは貴重な情報源であり、問題解決や新しい知見を得る上で非常に有効です。
A社は今後、AI/機械学習を活用した異常検知機能の組み込みや、TheHive/Cortexの機能を拡張したより高度なSOAR機能の実装など、OSSエコシステムの進化を取り込みながら、セキュリティ運用基盤のさらなる高度化を目指しています。OSSを活用したセキュリティ運用の内製化は、高コストな商用製品への依存から脱却し、変化の速いセキュリティ脅威に対して自律的かつ柔軟に対応するための有効な手段となり得るでしょう。