データ収集基盤の再構築:Fluent BitとVectorで実現したログ・メトリクス処理の効率化とコスト削減事例
大規模分散システムにおけるデータ収集の課題とOSSの可能性
近年、システムのマイクロサービス化やコンテナ化、マルチクラウドの活用が進むにつれて、システムから発生するログやメトリクスといったデータの量は爆発的に増加しています。これらのデータを収集、集約し、分析基盤へ転送することは、システムの健全性監視、トラブルシューティング、ビジネス分析において不可欠です。しかし、データ量の増加に伴い、従来のデータ収集基盤では運用負荷やコストが増大するという課題に直面するケースが増えています。
特に、各ホストやコンテナ上で動作するデータ収集エージェントは、その数の増加や多様な環境への対応が必要となり、管理コストが高くなりがちです。また、エージェント自体のリソース消費が見過ごせないレベルとなり、インスタンスコスト増加の一因となることもあります。加えて、収集したデータの転送やストレージにかかるコストも、データ量の増加に比例して膨らみます。
このような状況に対し、多くの組織ではOSSを活用したデータ収集基盤の再構築を検討しています。本記事では、ある企業がFluent BitとVectorといった軽量かつ高性能なOSSログ・メトリクス収集エージェントを活用し、データ収集の効率化とコスト削減を実現した事例をご紹介します。
導入前の状況:増大する運用負荷とコスト
事例企業では、従来、主にLogstashを中心としたログ収集基盤を構築していました。各サーバーやVM、一部コンテナ環境にLogstashエージェントを配置し、データを収集・加工して中央のKafkaやElasticsearchクラスタに転送するアーキテクチャです。
この基盤は、当初は機能していましたが、システム規模の拡大、マイクロサービス化、Kubernetesクラスタの導入などにより、以下のような課題が顕著になっていました。
- 高いリソース消費: LogstashはJVMベースであるため、各インスタンスでのCPUやメモリ消費が比較的高く、これが無視できないインフラコストとなっていました。特にインスタンス数の多い環境では、このオーバーヘッドが課題でした。
- 複雑な設定管理: Logstashの設定ファイルは強力ですが、環境やデータソースが増えるにつれて複雑化し、設定変更やデプロイの運用負荷が高まっていました。
- 多様な環境への対応: 新しい技術スタックやクラウド環境が登場するたびに、エージェントのデプロイや設定方法を検討する必要があり、対応に時間を要していました。
- データ転送・ストレージコスト: 収集するデータ量が増え続ける一方で、適切なフィルタリングや圧縮が行われておらず、後続のKafkaやElasticsearchにおけるデータ処理・ストレージコストが増大していました。
これらの課題は、運用チームの疲弊を招くとともに、ITインフラ全体のコスト最適化を阻害していました。
意思決定と選定:なぜFluent BitとVectorを選んだか
この課題を解決するため、技術部門ではデータ収集基盤の刷新を検討しました。刷新の要件としては、以下の点が重視されました。
- リソース効率性: エージェントのCPU/メモリ消費を大幅に削減できること。
- 高い信頼性とパフォーマンス: 大量のデータをロスなく、効率的に収集・転送できること。
- 多様な環境・データソースへの対応: コンテナ、VM、ベアメタル、各種アプリケーションログなど、様々な環境や形式のデータに対応できること。
- 運用管理の容易性: 設定管理、デプロイ、監視がシンプルに行えること。
- コスト削減への貢献: データ量の削減(フィルタリング、圧縮)やリソース効率向上により、基盤全体のコスト削減に繋がること。
複数のOSSデータ収集エージェントを比較検討した結果、Fluent BitとVectorが候補として挙がりました。
- Fluent Bit: CNCFプロジェクトであり、C言語で開発されているため非常に軽量で高速。Kubernetes環境での標準ログコレクターとしてデファクトスタンダードになりつつあり、コンテナ環境との親和性が高い点が魅力でした。豊富なInput/Outputプラグインを持ち、基本的なフィルタリング機能も備えています。
- Vector: Rust言語で開発されており、高いパフォーマンスと安全性を持つことに加え、ログだけでなくメトリクスやトレースデータも扱える統合エージェントである点が特徴です。多様なInput/Outputに加え、Pipeと呼ばれる強力な変換処理チェーンを柔軟に構築できる表現力の高さがありました。
最終的な選定では、すべてのエージェントをFluent BitまたはVectorのどちらか一つに統一するのではなく、それぞれの強みを活かしたハイブリッドなアプローチを採用することを決定しました。具体的には、Kubernetesクラスタのログ収集にはKubernetes環境での実績が豊富なFluent Bitを、その他のVMやベアメタル環境、より複雑なデータ変換が必要なケースにはVectorを主に使用するという方針です。この意思決定の背景には、単一ツールへの過度な依存を避け、各環境に最適なツールを選択することで全体最適を図るというビジネス的な判断がありました。
導入における懸念点は、Logstashからの設定変換と既存システムへの影響、そして運用チームの新たなツールに関する学習コストでした。これに対し、PoCを綿密に行い、設定変換ツールを内製すること、段階的な移行計画を立てること、そしてベンダーやコミュニティのサポートを活用したトレーニングを実施するなどの対策を講じました。
具体的な導入・活用プロセス
導入は、リスクを最小限に抑えるため、まずは非基幹システムや新規導入システムから開始する段階的なアプローチを取りました。
- 設計とパイロット導入: Fluent BitおよびVectorの最適なデプロイ方法(DaemonSetとしてのデプロイ、エージェントとしてのインストール)や、設定管理(GitOps連携、集中管理システム)について設計しました。一部のシステムでパイロット導入を行い、パフォーマンスや安定性、設定変換の課題などを検証しました。
- 設定変換と移行: Logstashの設定ファイルを解析し、Fluent Bit/Vectorの設定ファイルに変換する内製スクリプトやツールを開発しました。これにより、手作業による設定変換の工数を削減し、ミスを防ぐように努めました。既存システムのエージェントを、新しいエージェントに順次置き換えていきました。この際、一定期間は旧エージェントと新エージェントを並行稼働させ、データが正しく収集・転送されていることを確認しました。
- データ処理パイプラインの最適化: 新しいエージェントの機能(タグ付け、フィルタリング、パース、構造化、サンプリング、圧縮など)を積極的に活用し、収集段階で不要なデータを削減したり、後続システムでの処理に適した形式に変換したりするパイプラインを構築しました。特にVectorのPipe機能は、複雑なデータ変換処理を柔軟に実装するのに役立ちました。
- 監視と運用体制: Fluent BitやVector自身のエージェントの状態(稼働状況、処理済みデータ量、エラー率など)を監視基盤(Prometheus+Grafana)に取り込み、異常検知やパフォーマンスボトルネックの特定を可能にしました。また、設定変更やデプロイをCI/CDパイプラインに組み込み、自動化を進めました。
技術的なアーキテクチャとしては、各ノード上のFluent Bit/Vectorがデータを収集し、加工後、Kafkaトピックに転送。KafkaからElasticsearchやデータレイク(S3など)に取り込まれるという、既存のバックエンド基盤は活かす形での刷新となりました。新しいエージェントの導入は、このデータ収集・前処理レイヤーの最適化にフォーカスしました。
導入によって得られた成果
データ収集基盤の再構築により、企業は以下の顕著な成果を達成しました。
- インフラコスト削減:
- エージェント自体のリソース消費がLogstashと比較して平均で約70%削減されました。これにより、特にインスタンス数の多い環境でのサーバー費用を削減することができました。
- 収集段階でのフィルタリングや圧縮により、Kafkaへの流入データ量を約30%、Elasticsearchへのインデックスデータ量を約20%削減。これにより、KafkaクラスタやElasticsearchクラスタの規模拡張ペースが鈍化し、ハードウェア/クラウド利用料、および関連する運用コスト(ライセンス、保守など)の抑制に貢献しました。全体のインフラコストとして、データ収集・処理関連で年間〇〇百万円(具体的な数字はケースによるため伏せ字)以上の削減効果が見込まれています。
- 運用効率向上:
- Fluent Bit/Vectorのシンプルな設定構造と、設定管理の標準化により、設定変更やデプロイにかかるリードタイムが大幅に短縮されました(平均〇〇時間から〇〇時間へ)。
- エージェントの安定性が向上し、再起動や障害対応の頻度が減少。運用チームの対応工数が削減されました。
- 多様なデータソースへの対応が容易になり、新しいシステムのログ収集設定にかかる時間が短縮されました。
- パフォーマンスと信頼性向上:
- エージェントのリソース効率向上により、システムの本来のアプリケーション性能への影響を最小限に抑えることができました。
- 大量のデータ発生時にも、エージェントがボトルネックになることなく、安定してデータを後続システムに転送できるようになりました。これにより、監視データの遅延が減少し、システム状態のリアルタイムな把握が容易になりました。
- ビジネスへの貢献:
- ログやメトリクスの収集・活用が容易になったことで、開発チームやビジネスチームが必要とするデータを迅速に提供できるようになり、課題解決や意思決定のスピード向上に貢献しました。
これらの成果は、単なる技術的な改善にとどまらず、運用コスト削減によるTCO (Total Cost of Ownership) の削減、運用効率向上によるエンジニアリングリソースの有効活用、そしてデータ活用促進によるビジネス価値向上という、CTO/VPoE層が重視する戦略的な目標達成に大きく貢献するものでした。
直面した課題と克服
導入プロセスでは、いくつかの課題に直面しました。
- 設定ファイルの変換: Logstashの柔軟な設定をFluent Bit/Vectorの異なる設定形式に正確に変換するのは容易ではありませんでした。特に複雑な条件分岐や正規表現を用いた処理の再現に苦労しました。これに対しては、Logstash設定を解析して新しい設定を生成する自動化スクリプトの開発に最も時間をかけ、テストカバレッジを高めることで対処しました。
- 特定のプラグインの成熟度: 一部の特殊なInputやOutputについては、Logstashと比較してFluent Bit/Vectorのプラグインがまだ成熟していなかったり、機能が不足していたりするケースがありました。この場合は、代替のデータ転送方法を検討するか、必要に応じて自社で簡単なプラグインを開発するか、あるいはコミュニティにコントリビュートすることを検討しました。
- 運用チームのスキルアップ: 新しいツールへの移行に伴い、運用チームにはFluent BitやVectorに関する知識習得が必要でした。社内での勉強会の実施、公式ドキュメントの整備、外部トレーニングの活用など、多角的な教育プログラムを実施しました。
- 監視体制の構築: エージェント自体の状態を適切に監視するための仕組みを新たに構築する必要がありました。Fluent BitやVectorが提供するメトリクスエンドポイントを活用し、既存のPrometheus/Grafana基盤に統合することで、一元的な監視を実現しました。
これらの課題に対し、企業は技術チームと運用チームが密に連携し、計画的なアプローチを取りました。また、OSSのコミュニティやドキュメントを積極的に活用し、必要に応じて社内でのツール開発や自動化を進めることで、課題を克服していきました。
まとめと今後の展望
本事例は、Fluent BitとVectorといったOSSログ・メトリクス収集エージェントを活用し、データ収集基盤を再構築することで、システム規模の拡大に伴う運用負荷やコスト増大という課題を見事に解決したケースです。エージェント自体のリソース効率向上、データ処理パイプラインの最適化によるデータ量削減、そして運用管理の効率化が、具体的なコスト削減と運用効率向上に繋がりました。
この成功の鍵は、単に最新のOSSを導入することではなく、自社のシステム環境や課題を深く分析し、それぞれのOSSの特性(Fluent Bitの軽量性、Vectorの柔軟性など)を理解した上で、最適なツール選定と段階的な移行計画を実行した点にあります。また、移行に伴う技術的・組織的な課題に対し、内製化やコミュニティ活用、チーム教育といった対策を講じたことも成功要因として挙げられます。
データ収集基盤の効率化は、現代の複雑化するシステム環境において、運用コストを抑制しつつ、オブザーバビリティを高める上で非常に重要です。本事例が、同様の課題に直面している他の組織にとって、OSSを活用した解決策を検討する上での参考となれば幸いです。今後は、収集したログ・メトリクスデータをさらに活用し、AIOpsによる運用自動化や、ビジネスインテリジェンスの高度化に繋げていくことが展望として考えられます。