OSS Great Expectationsを活用したデータパイプライン品質管理:信頼性向上と運用コスト最適化事例
データ活用時代の課題:データ品質問題と増大するコスト
近年、ビジネスにおけるデータ活用の重要性はますます高まっています。データ分析に基づく意思決定、機械学習モデルによる予測、顧客体験のパーソナライズなど、あらゆる場面でデータが活用されています。しかし、データパイプラインが複雑化し、データソースが増加するにつれて、データ品質の維持・管理は大きな課題となっています。
データ品質に問題が発生すると、分析結果の信頼性低下、誤った意思決定、システム障害、顧客からのクレームなど、ビジネスに様々な悪影響を及ぼします。これらの問題への対応として、データの手動でのチェックやクリーニング、問題発生後の原因特定と修正、そして影響を受けたシステムや分析の再処理など、多くの時間とコストが発生します。特にデータパイプラインの終端に近い部分で品質問題が発覚した場合、その手戻りコストは甚大になる傾向があります。
このような背景から、データパイプライン全体を通じてデータ品質を継続的に保証し、品質問題を早期に発見・対処する仕組みの構築が急務となっていました。
導入前の状況:手動チェックの限界と隠れたコスト
当社のデータ活用基盤は、複数のデータソースからデータを収集し、バッチ処理やストリーム処理を組み合わせてデータを加工、分析用のデータマートに格納するという構成でした。データパイプラインは数百に及び、それぞれが異なるチームによって開発・運用されています。
導入前は、データ品質のチェックは主に以下の方法で行われていました。
- パイプライン開発者による単体テスト: 開発時に限られたデータセットで基本的なチェックを行う。
- データエンジニアによる手動チェック: 定期的に主要なデータマートの統計情報やサンプルデータを手動で確認する。
- データ利用部門からの指摘: データアナリストやビジネスユーザーが分析中にデータの異常に気づき、データ部門に報告する。
これらの方法には限界がありました。パイプラインの増加やデータ量の増大に伴い、手動でのチェックは追いつかなくなっていました。また、問題が発覚するのは多くの場合、データが利用される段階になってからであり、原因特定や修正に時間がかかり、手戻りコストやビジネス機会の損失に繋がっていました。
目に見えるライセンス費用はありませんでしたが、データ品質問題に起因する開発者、運用担当者、データアナリスト、ビジネスユーザーの手間、そしてデータ不整合による誤った判断や再作業にかかる隠れたコストは無視できない規模に膨れ上がっていました。
導入の意思決定とOSS Great Expectationsの選定
データ品質問題による潜在的なコストと効率低下を定量・定性的に評価した結果、データ品質管理プロセスの抜本的な改善が必要であると判断しました。目標は、データパイプライン全体にわたるデータ品質の継続的な保証と、問題の自動的な早期発見、そしてデータ品質に関する組織全体の認識共有です。
データ品質管理の自動化・標準化を実現するためのソリューションとして、商用ツールとOSSを比較検討しました。商用ツールの中には高機能なものもありましたが、導入・運用コストが高額であること、既存のOSSベースのデータ基盤との連携に課題があること、そして特定のベンダーにロックインされる懸念がありました。
一方、OSSのGreat Expectationsは以下の点が当社の要件に合致し、選定に至りました。
- データ品質テストのコード化: "Expectations"という形でデータに対する期待(スキーマ、値の範囲、欠損率など)をコードとして定義できるため、バージョン管理が可能で、パイプライン開発と連携させやすい点。
- 多様なデータソースへの対応: 各種データベース、ファイルストレージ、クラウドストレージなど、幅広いデータソースに対応できるコネクタが提供されている点。
- 結果の可視化と共有: Data Docsとしてテスト結果やデータのプロファイリング結果をHTMLドキュメントとして出力・共有できる機能が、データ品質に関するチーム間のコミュニケーションを促進すると考えられた点。
- Pythonエコシステムとの親和性: 当社のデータパイプライン開発の主要言語がPythonであり、Great ExpectationsがPythonライブラリとして提供されているため、既存ワークフローへの組み込みが容易である点。
- 活発なコミュニティ: OSSであるため、コミュニティによる活発な開発とサポートが期待できる点。
導入における懸念点としては、新しいツールの学習コストや、大量のデータに対するテスト実行性能がありましたが、これらはPoC(概念実証)を通じて実行可能性を確認し、社内勉強会の実施やドキュメント整備によって対応可能と判断しました。
具体的な導入・活用プロセス
Great Expectationsの導入は、既存の主要なデータパイプラインから段階的に進めました。
- プロジェクトのセットアップ: 各データパイプラインリポジトリ内にGreat Expectationsプロジェクトをセットアップしました。
- データソースの接続設定: 各パイプラインが扱うデータソース(DWH、データレイク上のファイルなど)への接続情報を設定しました。
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Expectationsの定義: 以下の観点から、対象データの品質に関するExpectations(期待される条件)を定義しました。
- スキーマ検証: カラム名の存在、データ型、順序など。
- 値の整合性: 非NULL制約、ユニーク制約、許容される値の範囲や正規表現パターン、外部キー的な参照整合性など。
- データ分布: 特定カラムの値の最小値・最大値、平均値、標準偏差など。
- データ鮮度・完全性: 最終更新日時が期待通りか、レコード数が過去データと比較して極端に変動していないかなど。
これらのExpectationsは、データ要件定義に基づいてデータアナリストやビジネスサイドとも連携しながら決定し、YAMLファイルとして定義しました。 4. チェックポイントの設定と実行: 定義したExpectationsをどのタイミングで実行するかを「Checkpoint」として設定しました。これはデータパイプラインの処理完了後に自動的に実行されるようにワークフロー(例: Apache Airflowのタスク)に組み込みました。 5. 結果の通知と可視化: Checkpointの実行結果は、合格/不合格にかかわらずSlackなどのコミュニケーションツールに自動通知されるように設定しました。不合格の場合は、どのExpectationが満たされなかったか、具体的なデータ異常の例などが通知されます。また、実行結果やデータのプロファイリング結果をまとめたData Docsを生成し、社内Webサーバーで共有することで、誰でもデータの現在の品質状態や履歴を確認できるようにしました。
このようにして、データがパイプラインを流れるたびに自動的に品質がチェックされ、問題があれば即座に関係者に通知される仕組みを構築しました。技術的には、データパイプラインの最終段でGreat Expectationsのバッチ処理を実行するシンプルなアーキテクチャを中心に採用しましたが、ストリーム処理においては、マイクロバッチ処理と連携させるなどの工夫も行いました。
導入によって得られた成果:データ信頼性の向上とコスト削減
Great Expectationsの導入により、データ品質管理の自動化・標準化が進み、以下の具体的な成果が得られました。
- 手戻りコストの劇的な削減: 最も顕著な成果として、データ不整合に起因する手戻り作業が約50%削減されました。以前はデータ利用段階で発覚していた問題が、パイプライン処理直後に自動検出されるようになったため、修正コストが大幅に削減されました。
- 運用・開発工数の削減: 手動で行っていたデータ品質チェックの工数がほぼゼロになりました。また、品質問題の原因特定に必要な時間も、自動化されたプロファイリング結果やData Docsを参照することで大幅に短縮されました。これにより、データエンジニアや開発者は本来の開発・改善業務により多くの時間を割けるようになりました。具体的な工数削減率は、導入対象のパイプライン全体で見て約20%と試算しています。
- データ分析・活用の効率向上: データアナリストやビジネスユーザーは、データマートのデータ品質が保証されていることを前提に分析を進められるようになりました。これにより、データクリーニングにかかる時間が削減され、分析結果の信頼性向上により迅速かつ正確な意思決定が可能になりました。
- 組織全体のデータリテラシー向上: Data Docsを通じてデータのスキーマやExpectationsが可視化されたことで、データに対する共通理解が深まり、部門間のコミュニケーションが円滑になりました。これはデータガバナンス強化にも繋がっています。
- コスト削減: 上記の手戻りや工数削減に加え、データ品質問題によるシステム障害やビジネス損失の回避という観点からも、大きなコスト削減効果が得られました。直接的なOSSライセンスコストは発生しないため、導入・運用にかかる人的コストと上記効果を比較すると、費用対効果は非常に高いと評価しています。
直面した課題と克服
導入プロセスにおいては、いくつかの課題に直面しました。
- Expectations定義の標準化: 数百ものデータパイプラインがあるため、各チームがバラバラにExpectationsを定義すると管理が煩雑になります。これに対しては、全社的に共通してチェックすべき項目(例: 日付フォーマット、プライマリキーの非NULL/ユニーク性など)を洗い出し、共通のExpectationsライブラリを作成して配布することで対応しました。
- 大量データに対する実行速度: 一部の非常に大きなデータセットに対して全てのExpectationsを実行すると、完了までに時間がかかることがありました。これに対しては、データのサンプリング戦略を導入したり、分散処理基盤(Sparkなど)上でGreat Expectationsを実行できる機能を活用したりすることで、実行時間の短縮を図りました。
- 既存ワークフローへの組み込み: レガシーなデータパイプラインへのGreat Expectationsの組み込みは、新しいパイプラインへの導入よりも技術的なハードルが高い場合があります。これに対しては、各チームと連携し、パイプラインのリファクタリングと並行してGreat Expectationsを導入する、あるいはETLツールが提供するフック機能を利用するなど、個別の状況に応じたアプローチで対応しました。
まとめと今後の展望
OSSのGreat Expectationsをデータパイプラインの品質管理に導入したことは、当社のデータ活用戦略において非常に重要な一歩となりました。データ品質の自動的かつ継続的な保証により、データに対する信頼性が向上し、データに起因する様々な手戻りや運用コストを大幅に削減することができました。
この事例から得られる教訓は、データ活用の深化に伴うデータ品質問題は避けて通れない課題であり、その対策を後回しにすると隠れたコストとして組織に大きな負担をかけるということです。OSSを活用することで、高額な商用ツールに頼らずとも、効果的なデータ品質管理の仕組みを構築できる可能性が示されました。
今後は、Great Expectationsの適用範囲をさらに拡大し、より多くのデータソースやパイプラインに導入を進める予定です。また、Expectationsをデータ契約(Data Contract)としてより積極的に活用し、データ提供側と利用側での合意形成や変更管理を効率化することも視野に入れています。データ品質を技術だけでなく、組織全体の文化として根付かせるための取り組みも継続していきます。
OSSによるデータ品質管理は、単なる技術導入に留まらず、データ活用の信頼性を高め、組織全体の効率化とコスト削減に貢献する、戦略的な取り組みであると言えます。