商用ロードバランサーからHAProxy/Keepalivedへの移行で実現したコスト削減と運用効率化事例
商用ロードバランサーの高い維持コストと運用の硬直性を解消するOSS移行戦略
多くの企業において、システムのスケーラビリティや高可用性を実現する上でロードバランサーは不可欠なコンポーネントです。しかし、長年にわたり商用製品を利用してきた組織では、その高額なライセンス費用や保守費用、さらには設定変更の際の柔軟性の低さなどが、運用コスト増大やビジネス変化への迅速な対応を阻む要因となっている場合があります。
本記事では、このような課題に直面していたある組織が、商用ロードバランサーからOSSであるHAProxyとKeepalivedへ移行することで、インフラコストを大幅に削減しつつ、運用効率とシステムの高可用性を向上させた具体的な事例をご紹介します。この事例は、OSSを活用したコスト削減と効率化の可能性を示すと同時に、技術的な判断だけでなく、組織の技術戦略や運用体制の変革も伴うものであることを示唆しています。
導入前の状況:高コスト構造と運用課題
当該組織は、ウェブアプリケーションやAPIサービス群のトラフィック分散およびSSLオフロードに、特定の商用ロードバランサー製品を長年利用していました。システムの規模拡大に伴いロードバランサーの台数や処理能力の増強が必要となり、それに比例してライセンス費用と保守費用が増加し続けていました。これは年間数千万円規模のインフラコストにおける大きな負担となっていました。
また、商用製品特有のGUIやCLIはベンダー固有の操作体系であり、設定変更には専門的な知識やベンダーへの問い合わせが必要な場面も少なくありませんでした。これにより、新しいサービスのリリースや設定変更のリードタイムが長くなり、変化の速いビジネス要求に応えきれないという運用上の課題も顕在化していました。さらに、製品のEOL(End of Life)が近づいており、リプレースの検討も喫緊の課題となっていました。
導入の意思決定とOSS選定の論点
これらの課題を解決するため、組織は新たなロードバランシングソリューションの検討を開始しました。選択肢としては、引き続き新しい商用製品を導入するか、またはOSSへ移行するかの二つが考えられました。技術部門責任者層を中心に議論を重ねた結果、コスト削減効果、技術的な柔軟性、そして内製化による運用能力向上を重視し、OSSへの移行という戦略的な意思決定がなされました。
OSSロードバランサーの候補として、LVS、HAProxy、Nginxなどが検討されました。要求されたのは、HTTP/HTTPSトラフィックの高度な負荷分散機能、SSL終端、高可用性構成の実現、そして比較的高負荷な環境での安定稼働能力です。検討の結果、以下の理由からHAProxyが主要なロードバランサーとして、そしてその高可用性を実現する仮想IP管理にKeepalivedが選定されました。
- HAProxy:
- HTTP/HTTPSプロキシに特化しており、高いパフォーマンスと安定性を持つ。
- 豊富な負荷分散アルゴリズム(Round Robin, Least Connection等)やヘルスチェック機能。
- 高度なACL(Access Control List)による柔軟なトラフィック制御が可能。
- 活発なコミュニティと豊富なドキュメント。
- Keepalived:
- VRRP (Virtual Router Redundancy Protocol) を用いたシンプルかつ信頼性の高い仮想IPの高可用性ソリューション。
- HAProxyの死活監視と連携し、自動フェイルオーバーを実現できる。
意思決定プロセスでは、OSS導入によるサポート体制への懸念も重要な論点となりました。商用製品のようなベンダーによるオンサイトサポートは期待できないため、コミュニティベースのサポートや、必要に応じてOSSサポートを提供する外部ベンダーの活用、そして技術の内製化を進める方針が確認されました。特に、ミッションクリティカルなシステムであるため、検証環境での十分なパフォーマンステストやフェイルオーバーテストの実施を徹底する計画が立てられました。
具体的な導入と活用方法
新しいロードバランシング基盤は、HAProxyとKeepalivedを組み合わせて冗長構成で構築されました。具体的なアーキテクチャとしては、アクティブ/スタンバイ構成を採用しました。
各ロードバランサーノードにはHAProxyとKeepalivedをインストールします。KeepalivedはVRRPを設定し、仮想IPアドレスを管理します。KeepalivedはHAProxyプロセスの死活監視を行い、HAProxyが正常に稼働しているノードに仮想IPが付与されるように制御します。これにより、片方のノードに障害が発生しても、自動的にもう一方のノードに仮想IPが引き継がれ、サービス無停止でのフェイルオーバーを実現しました。
移行は、サービス単位で段階的に行われました。まず影響範囲の小さい一部のサービスから新しいHAProxy/Keepalived環境にトラフィックを振り向け、安定稼働を確認した上で、順次主要なサービスへと移行していきました。移行期間中は、旧商用LBと新OSS LBの両方が稼働し、必要に応じてトラフィックを切り戻せる体制を維持しました。SSL証明書の管理や設定の自動化には、Ansibleなどの構成管理ツールが活用されました。
導入によって得られた顕著な成果
OSSロードバランサー環境への移行は、計画通り、あるいはそれ以上の効果をもたらしました。
最も顕著な成果はコスト削減です。商用ロードバランサーの年間ライセンス費用および保守費用が不要になったことにより、年間数千万円のインフラコスト削減を達成しました。ハードウェア費用や運用にかかる人件費は発生しますが、それを考慮しても大幅なコスト最適化が実現されました。
運用効率も大きく向上しました。設定ファイルはテキストベースとなり、Gitによるバージョン管理が可能になりました。また、構成管理ツールとの連携により、設定変更の自動化や再現性が容易になり、手作業によるミスが削減されました。これにより、設定変更にかかるリードタイムが劇的に短縮され、新しいトラフィック制御ルールの適用や証明書の更新などが迅速に行えるようになりました。開発チームからの変更要求に対し、より俊敏に対応できる体制が構築されました。
技術的な面では、システムの高可用性が向上しました。Keepalivedによる自動フェイルオーバー機能は安定して動作し、一部のノード障害時においてもサービス継続性を確保できるようになりました。また、HAProxyの詳細なログや統計情報を活用することで、以前よりもきめ細かいトラフィック状況の把握やトラブルシューティングが可能になり、システム全体の安定稼働に寄与しました。
直面した課題と克服への道のり
OSSへの移行は順調に進んだわけではなく、いくつかの課題に直面しました。
一つは、HAProxyとKeepalivedの深い知識や運用ノウハウの習得です。特に高負荷時におけるパフォーマンスチューニングや、KeepalivedのVRRPに関する挙動、各種監視設定などは、商用製品とは異なる学習が必要でした。これに対しては、社内での技術勉強会を頻繁に開催し、公式ドキュメントやコミュニティ情報を積極的に活用することで、担当者のスキルアップを図りました。また、負荷テストツールを用いた検証環境での徹底的なテスト実施が、本番環境での安定稼働には不可欠であることを痛感しました。
また、監視体制の再構築も課題でした。商用製品には統合された監視機能が含まれていることが多いですが、OSSの場合はPrometheusやGrafanaなどの別のOSS監視ツールと連携させる必要があります。HAProxyはStatsページを提供しており、これをPrometheus Exporterで収集し、Grafanaで可視化する仕組みを構築しました。これにより、トラフィック量、コネクション数、エラー率などをリアルタイムに監視できるようになり、異常検知やパフォーマンス分析が可能になりました。
セキュリティ面では、商用製品にあった一部のセキュリティ機能(WAF連携など)について、OSSによる代替手段や他のセキュリティレイヤーでの対策が必要となりました。この事例では、HAProxyのACL機能を活用した基本的なアクセス制御に加え、上位レイヤーまたはアプリケーションレベルでのセキュリティ対策を強化することで対応しました。
まとめと今後の展望
本事例は、商用ロードバランサーからHAProxyとKeepalivedというOSSスタックへの移行が、コスト削減、運用効率向上、そして技術的な柔軟性獲得において非常に有効な手段であることを示しています。特に、年間数千万円規模のインフラコスト削減は、ビジネスインパクトの観点からも極めて大きな成果でした。
この経験から得られる教訓は、単に「無料だからOSSを使う」のではなく、「自社の技術戦略、運用体制、そしてビジネス要件に合致するOSSを適切に選択し、必要な技術力を内製化または外部リソースを活用して補完することで、商用製品では得られない柔軟性やコストメリットを享受できる」ということです。
今後は、設定のコード化(Infrastructure as Code)をさらに進め、変更管理プロセスの自動化を強化する予定です。また、将来的にはHAProxyのより高度な機能(Luaスクリプティングによるトラフィック操作など)を活用し、ビジネスロジックの一部をエッジ側で処理することも検討されています。本事例が、同様の課題を抱える他の組織におけるOSS導入の意思決定や戦略策定の一助となれば幸いです。